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広告素材で気になった事柄から自身の思いや疑問点・希望などを勝手な解釈で綴るページです。意見交換の切っ掛けになれば幸いです。
2015.11.15 気まぐれコラム vol.010『過去と未来を結ぶもの_エピソード4』

しばらく間が空いてしまいました。久々の投稿になります。

写真店兼カメラ店兼フォトスタジオ兼暗室作業所兼の仕事に就いて16年、不真面目にサボる事もあるの中で様々な技術を伴う貴重な経験をさせてもらいながらよくもまあ飽きずにこれまでやってこれたなとむしろ感心しつつ昔を思い起こす昨今ですが、それでもいつかは身を引くことになる訳です。

今思えば半ば強引であまり良い(得する)辞め方ではなかったかと思いますが、何れにせよ退職後直ぐに自らの店を持とうと決意し、早速近所の賃貸物件を探し始めました。自宅からほんの数キロという場所にその貸物件はありました。一般アパートの1階のテナントとあって内部は大した広さではなかったのですが、写真の現像プリントの受付と奥には証明写真が撮れて少人数であれば記念写真も可能な小さなスタジオも設備可能、もはやデジタル処理が当たり前の時代であり画像処理用のパソコンスペースも確保できたことから、ここに決めることにしました。

当時のデジタルからの紙出力はもっぱらフジカラーのピクトロスタットというプリント機が主流でA3ノビまでが可能だったピクロト4000を思い切って導入しました。

実のところこの出店計画には無理がありました。まさに大誤算の始まりです。

元々その場所はメイン道路から一歩奥まった立地のため人通りが少なく、団地(住宅街)はそこそこ林立していた訳ですがほとんどの場合当時は駅前の中堅スーパーに出向くのが世間の大方の流れであったため、その周辺にある写真店に客足が奪われてしまっていました。事前にその傾向は把握していたので、より専門性を謳う技術屋で勝負しようと心がけ、大手ラボや他店の下請けで暗室作業を行ったり、各種出張撮影、記念写真、自らが主宰の写真愛好家20名ほどを集めたクラブ活動を行ったりと、その特異な形態をアピールしていました。

しかしながら僅か開店から丸2年経った時点でお店は火の車、思うような収益が得られず出費ばかりがかさむという悪循環の中とうとう閉店に追い込まれてしまいました。子供がまだ幼かったせいもあり家内は子供の面倒で手一杯という状況から自らが一人でほぼ全てを担わざるを得ず、出張時はシャッターを閉めての外出も多かったと思います。

また負の筆頭が家賃ほか光熱費(ライフライン)です。毎月否応無しに10万円超が消えていくので利益が非常に薄くなり遂には不足する感光材料や商品の購入に充てる費用が捻出できなくなっていました。当初あった準備金1000万円近くが呆気なく消えて無くなったのです。お店を閉めて途方に暮れているそんな中、古くからの写真仲間の一人からウチで働いてみないかというお誘いが来ました。

その言葉はまるで天から降る注ぐ光ような神のお告げにも似た響きがありました。即決して早速具体的な打ち合わせの段になった訳ですが、その彼は以前からストックフォトでしっかり生計を立てている売れっ子写真家であり、すでに数年前から私自身もストックフォトに関わっておりその経験から是非スタッフにということでした。いわゆる同業者である上、今後の活動自粛要請を考えると正直困惑もしました。

いやいやまだまだ学ぶべきものがあるであろうという気持ちも強かったので、ここはとにかくお世話になろうと決心しました。担当は以前からやや得意とするCGがらみの制作がメインで同時に自社のホームページ制作とメンテナンスを含むその更新作業、更には彼のアシスタントとして撮影の助手、運転手、写真セミナーのサブスタッフ、毎年行われる写真展での大型プリント作業と展示作業等々を繰り返す日々が続き、あんなこんなでアッという間に7年がこれまた過ぎていきました。

この時点で49歳(数え年50歳)、2008年のことです。 →エピソード5(最終回)

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